惰性で生きているとこうなる

筆者の謎に包まれた日常を垣間見ることができる日記のようなもの

七夕の願い事を済ませたので取り急ぎご報告

本題に入る前に、少しだけお付き合いください

前回の投稿の締めの一文

苦しみの先に「いいこと」が待っているかもしれないから。

何かいいことないかなあ - 惰性で生きているとこうなる


このようなクサい文を書いてしまい、慙愧の至りでございます。


ポエマーすぎる。くっさー!!


自分で見返してみて気が付きました。他人に指摘されなくてよかった


普段こんなポエ味の効いた言い回しはしません。魔が差したんでしょう。そういうことにしておきましょう。


僕の醜態についての言い訳はこの辺りまでにしてもろて



本題に入らせてください。


先日、自宅マンションの正面玄関にこんなものを見つけた。


f:id:cotton_san:20210705013613j:plain


ああ、七夕か。そういえば、最後に短冊に願い事を書いたのはいつだったっけかな。


笹の横には、短冊とペンが置いてある。どうやら自由に飾っていいようだ。短冊を部屋に持ち帰り、願い事を熟考することにした。


ペンを握り締め、鬼の筆圧で思いの丈を短冊にぶつけてやろうと鼻息を荒らげていたが、ここで大きな懸念材料が。


マンション内で願い事を書いている大人ってもしかして僕だけでは?問題。


想像してほしい。チビッ子たちの可愛らしい願い事の中に、ひとつだけ現実味のある明らかに大人が書いたであろう願い事が紛れ込んでいることになる。


それはちょっぴり恥ずかしい。他の短冊にうまく溶け込むような願い事を書くために他の願い事を確認しに正面玄関に戻る。


他人の願い事を確認するために深夜2時にコソコソ家を出る成人男性など世の中に僕だけだろう。





チビッ子A「〇〇高校に受かりますように」

おお、僕もかつてはこんなことを書いた気がする。落ちましたけど、ええ。結局自分次第だよがんばれ受験生。


チビッ子B「早く梅雨が明けますように」

梅雨は気分が上がらんよね。僕も早く明けてほしい。代わりに願ってくれてありがとう。


チビッ子C「コロナがなくなってみんながたのしく元気になりますように」

素敵な願い事。おじさん泣いちゃう。自分の子供にしたい、養いたい。


ワタクシ「お金の使い方が上手な大人になりたい」

まずは稼いで勉強しろカス


さすがに僕の願い事は良くないだろう。明らかに浮いている。あと、七夕にお金に関する願い事っていうのもなんか良くない気がする。意地汚い。


なにかこう、低レベルでありながらも大きな夢を叶えられそうな願い事を書きたい。


悩みに悩んで2日が経過。いくら何でも考えすぎた。


遂に、僕は最適解を見つけてしまった。


f:id:cotton_san:20210705013653j:plain


ほどよく頭の悪そうな字の汚さで勝負を仕掛けてみた。これなら彼らの願い事に溶け込むことができるだろう。


「つよくなりたい」


この、「つよい」という抽象度の高い形容詞。あらゆる「つよい」を包含している。


僕はめっぽう胃が弱い。すぐに胃もたれしてしまう。脂っこいものでも食べられるようになりたい。胃が強くなりますように。


目力も強くなりたい。弱そうな死んだ目をしているからなめられている。目力で黙らせてやりたい。目力が強くなりますように。


特に必要な力は筋力だ。筋肉。マッチョ。マッチョネス。



“キングダム” という漫画を読んだことはあるだろうか。キングダムというのは春秋戦国時代の中華を描いた漫画である


この漫画の最大の魅力こそ、マッチョネス。名だたる武将たちが登場するが、どいつもこいつもマッチョ。圧倒的に歩兵が多い戦場を馬に乗ったマッチョな武将が駆け巡り、敵陣を蹂躙していく。マッチョネスの狂喜乱舞。戦場はマッチョの独壇場なのだ。


もちろん戦には戦略というモノが存在しており、軍師という人たちが繰り広げる頭脳戦も勝敗を分ける重要な要素であることは間違いない。


しかし、マッチョな武将の前ではそうした戦略は意味をなさないことがある。圧倒的なマッチョによるゴリ押しも可能なのだ。あと、結局は軍師たちもマッチョであり、強いやつは皆マッチョ。


そして、キングダムの見どころは間違いなく秦国の将軍である蒙武と楚国の総大将である汗明の一騎打ち。マッチョがマッチョを底知れないマッチョネスによってねじ伏せる極めてマッチョフルなバトルが繰り広げられる。マッチョによる一騎打ちは、そうでないもののそれとは次元が違う。


しかも、マッチョな将軍が率いる部下たちも例外なくマッチョ。漏れなくマッチョ。特に汗明が率いる隊はすごくマッチョ。山のようなマッチョ。マッチョの群れ。


そんな汗明軍は少し特殊。マッチョな兵たちが太鼓を叩き、マッチョな汗明を鼓舞する。


ドドンドドンドンッッッッッッッッッ!!!!かんめいっっっっっっ!!!ドドンドドンドンッッッッッッッッッ!!!!かんめいっっっっっっ!!!


チアマッチョの野太い声援は汗明をより強大なマッチョに仕立て上げる。もはやそれは世紀末。マッチョのマッチョによるマッチョのための戦場と化す。


蒙武と汗明のマッチョくらべは実際にマンガを手にとって見てもらいたい。あなたもマッチョになりたいと思うはずだ。


キングダムを読んだ人なら分かるかもしれないが、マッチョはやはり圧倒的存在感。そこらの武将では、マッチョな武将には歯が立たない。



僕もマッチョになって周囲の人間から恐れられたい。マッチョになって他者をねじ伏せたい。マッチョになれますように。



こうしたぼくの思いが「つよい」という言葉にパンパンに詰まっている。


それにしても、「つよくなりたい」という願い事から滲み出ている弱々しさ。そこはかとない弱々しさ。


こんな弱々しい願い事をしている時点で強くはなれないのかもしれない



キングダムおすすめですよ。